Oh! my dream come true.
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『Oh! my dream come true. 』

遡れば、1970年代の高校時分に「マイコン」の雑誌を買いあさり、意味もよく分からないままに定期購読しだしたのが、始まりだった。。そして、電電公社のメイン・フレーム(※大型コンピューター)の端末が、有る三宮のショールームで、緑一色のモニターで、数字と記号だけのゲームとか、簡単なプログラムを走らせたりしていたが、経済的な理由から、マイ・コンをゲットする事は、出来なかった。。。そして、興味の対象が、ダンスとか、自動車に移り、一時は、コンピューターから離れた。
その後にアメリカに留学した僕は、テキサス州ダラス市にて、昔の SF 映画のリメイクを観て、突然、「ゲームを作るのだ!」と言い出し、アタリ社のゲーム・マシーンに毛の生えた程度のコンピューターを購入するも、ベイシックの勉強も身が入らなくて(笑)、潜水艦ゲームとかを友人達と楽しんだ程度だった。<しかもそれは、数ヶ月後に盗難に有ったし、、、(ーー;)
やがて2年が経ち、アメリカのテキサス州のフォートワース市にて、友人が家族と経営するジュエリー・ショップのバック・ルームで、箱に入ったままの「マック・プラス」を見た瞬間、、「おお!」と思ったけど、サンタモニカに移る準備で、バタバタしていて、それっきりに・・・
その翌年だかに遊びに訪れたサンフランシスコの友人の友人宅の一室で、デスクの上の同じく「マック・プラス」を見た時には、予感が、確信に変わった。つまり、夢に見た未来社会の縮図が、机の上にいた訳で、「これしかないのだ!」と思ったものの、実際には、何をすれば良いのか?分からなかったのも事実(笑)。

そして時が過ぎ、会社を辞めて独立した僕は、IIci と言う名のマックを手に入れた。当時のスペックを思い出すと、メモリ最大搭載で、8メガ(笑)、世界最大級のハードディスクが、200メガと言うお粗末さだったし、本体とモニターとプリンターだけで、100万円近くの出資だったのに、更に3Dグラフィックのソフトが、260万円もして諦めて(笑)、別購入したゴルフゲームをして過ごしていたけど、国産のマシーンが、16色表示だった時代に256色のモニターに描かれるゴルフ・ボールの軌道にいたく感動した記憶が有る。<高価なおもちゃだ、、、

その後、地震とか色々有って、趣味を失った僕は、初期のパワー・マック(※100)をゲットし、「プロに頼みたいけど頼むと高価だから…」との理由にて、自分で、拙くグラフィック系のソフトを操り、写真を合成したり、簡単な DM の版下や雑誌広告に載せる画像を自分で加工しだしたのが、12年前。 「ついにそんな時代が来たか!」とグラフィックや絵画のプロに言われたが、明らかに僕は、宝飾業界では、少し早すぎた存在だった(笑)。

その当時、パソ通の世界は、熱かった。。。技術系の男子社会で、話す会話の中身もレベルが、高かった、しかし、その熱気は、架空の世界で有り、後にバーチャル等と持てはやされたが、虚実の狭間を皆が漂っていた。
しかしながら、その世界にも掟が有り、そのくだらない縛りを皆が遵守する事で、世界が形成されていたが、そんなモノにとらわれる必要性を僕は感じる事は、無かった。
やはり何か違う!心の底の声を聞きながら、違うハイウェイをひたすら走った挙句にクラッシュした僕は、一種、途方に暮れながら、失った時間を思い、こみ上げて来る笑いをこらえていたんだ。。。
その翌年位から、ワークステーションに乗っかった高価なモデリング・ソフトやワックスや樹脂で造形できるマシーンが登場し、新時代の幕開けを予感させたが、僕自身は、旧態全とした柵と先の読めない連中に囲まれて、でもやがてアナログな関係は、崩壊し、ついでに僕自身も崩壊しかけたんだ。。。
それから1年半は、暗闇の中を手探りで歩く様に一人で、ぼんやりと過ごしていたけど、ある日、手にした CD-ROM をインストールした僕は、チャットの海に飲み込まれて(笑)、パソ通の利用に於ける新解釈を体感したけど、間口が広がっただけで、何も目新しいくも無かったけど、それはそれで、楽しかったのもまた事実(笑)。
そして数万円に膨れ上がった利用料金と引き換えに我が家にケーブルが、やってきて、数ヶ月のブランクも有ったけど、ある意味で、専門的な連中が、集まって、これまた専門的な話題で盛り上がった様に見えたけど、薄っぺらな関係は、やはり希薄で、繰り返される会話にもやはり目新しいモノも無くて、新時代の事なんて誰も気にしてなくて、新たなるツールを手にした人達も違うベクトルにすっ飛んでスピンアウトして、目前から消えて行った。

確かに僕は、違っていた。拘っている連中に「拘りを捨てる事が、真の拘りだ。」なんて(笑)…
そしてネット上の活動は、自然消滅し、周辺も様変わりしたりしなかったりしたが、そんなある日に僕は、彼女(※3DESIGN)と出会った。最初の彼達(※シェード&ライノ)と違って、「何て不自然なアクトなんだ!」と毒づいたりもしたけれど、なんともチャーミングな一面も有り、何よりも美しかったし、ムーディで、嫉妬深くて、じゃじゃ馬でも有った(笑)。
まさか?こんな形で、20数年間探していたモノが、見つかるなんて、まったくもって人生と言う奴は、いつもいきなりやって来て、突然何かを宣告する天使みたいな存在だと。。。

最初は、ずいぶんと異質な二人だったけど、最近に成って、妙な呼吸が、生まれ、何となく形が落ち着いて来て、色々な命令もそつなくこなすけど、じゃじゃ馬なのは、直りそうも無い(笑)。
そして、ふと世界を眺めて見ると、どうもこの世の中、簡略化の嵐に見舞われているみたいで、複雑な関係も人間もオブジェクトも形(※なり)を顰めて、まるで馬鹿にされたみたいな被害妄想にかられながら、モノ作りの新たなる可能性に向かって、僕は、突き進んで行く。

言葉尻を捕らえる訳じゃ無いけど、「手作り」って、何なの?手作りって、文字通り手で作る行為を指す訳で、例えば5ミリ厚の銀板を素手で曲げるには、超人でもきつい訳で、プライヤーにファイルにソウにリューターにバーにローリング・ミルにブロックにエトセトラ、様々な道具を駆使して作る訳で、米語だと「ファブリケーション」と呼ぶ。
また古い職人さんだと「カザリ」とも言うし、手作りと言う言葉は、量産品じゃ無い一点モノとの意味で、使われているけど、なんかへんだね。。。それに、腕の立つ職人を褒める言葉として、「まるで機械で作ったみたいに正確ですね。。」と言う訳で、「だったら機械で、より正確に作れば良い(笑)。」
しかし、世の中には「手作り」と言う言葉に幻想を抱く人が沢山いて、まあそれはそれで、良い事だと思えるけど、ツールが、一つ増えた位で、モノの価値なんて変わらないし、制作のプロセスよりも、作られたモノを実際に身に着ける人達にとって、そのモノに価値が有るのか?無いのか?が、最大の問題だと思ふ。。。よ。
mko
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